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[2025年04月号]図書館の日本史(2) 

井藤和俊

更新日:17 分前

本の紹介 図書館の日本史(2)  新藤 透 著

紹介者 井藤和俊


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 鎌倉時代の図書館

~武家文庫「金沢文庫」~  

頼朝が鎌倉に幕府を開くと、それまで京都中心、貴族中心の文化が、徐々に鎌倉に移されてゆきます。鎌倉幕府が貴族、寺院に優る力をもつと、貴族出身の武家が「武家文庫」を開きます。


神奈川県立金沢文庫

鎌倉時代を代表する武家文庫は「金沢文庫」です。「金沢文庫」は、武士自身が多くの貴重な書籍を蒐集し、貸出もしていた本格的な文庫です。文化の担い手が貴族から武士に移ったのです。

「金沢文庫」には、仏書や論語などの漢籍、「源氏物語」などの和書も多くあり、あらゆる分野の書が収蔵され、一般にも貸出されていました。武家の女性も金沢文庫を利用し、枕草紙や源氏物語を読んでいます。

なお、金沢文庫は鎌倉の郊外に位置していたので、戦乱からは免れて室町時代まで残っていました。現在は、鎌倉期以降の古典籍を所蔵する「博物館」として、存続しています。


南北朝、室町、戦国の図書館~足利学校・日記の家~

 「足利学校」(栃木県足利市)は、全国から学生が集まる「高等教育機関」で、戦国大名から保護を受け、西欧にも知られていました。

 江戸時代は、徳川将軍家の保護を受け、蔵書の管理は、司監・司籍・訓導が担当し、館内閲覧のみで、館外貸し出しは不可でした。現在は足利学校遺蹟図書館に引き継がれています。

平安時代にあった貴族の「日記の家」は、戦国時代の戦乱のなかでも、生き残り、戦国大名の教養として、「和歌」や「連歌」などを教授していました。山科言国の「言国卿記」には、図書の貸出記録、購入、書写、写本制作の様子や記録が残されています。

室町後半から戦国期には、庶民向けの書物も出て、店頭販売され、御伽草紙が読まれています。


近世の図書館 江戸時代~大名文庫・神社文庫~

徳川幕府は、乱世が終り、文治で治める時代となり、儒学・儒教を重んじるようになり、徳川家私設文庫を開設し、家光の代には、幕府の管理として、書物奉行を創設し、「富士見亭文庫」「紅葉山文庫」を開設しています。


大名文庫

大名もまた、加賀藩「尊経閣」、藩校「明倫堂」文庫を開設しています。

管理者が置かれ、館内閲覧は自由でしたが、貸出は限定的でした。

江戸期には、「古事記」「万葉集」など日本人が著した書物を在野の学問として研究し、学ぶ国学が、武士以外にも、豪農、豪商にもひろがり、国学者としては賀茂真淵、本居宣長らが著名です。


神社文庫

伊勢神宮文庫は、神官が神道研究、神官子弟教育のため、自由に利用できる文庫を設立し、広く神道関係者に閲覧を許し、高名な学者を招いて講義をしています。


庶民の「図書館」~草双紙誕生~ 

江戸では庶民を読者とする、娯楽書の草双紙を出版する本屋を地元江戸の本という「地本問屋」が生まれます。19世紀初頭の合巻では、山東京伝、十返舎一九、曲亭江戸馬琴が登場します。

草双紙は明治初期まで出版されます。


貸本屋

江戸中期19世紀には、江戸で800軒もの貸本屋がありました。

「羽田八幡宮文庫」は、神社文庫から生まれましたが、個人の蔵書家が集まり、資金を募り、本の寄贈を呼び掛けて、設立されています裕福な町人のほか貴族や大名なども本を寄贈し、館内閲覧のほか、館外貸し出しも行われ、講演会も開かれていました。


農村の蔵書家

農村部では、庄屋、名主、肝いりと言われる村役人が、個人の蔵書を村人へ貸出していた。

武士、町人、農民と職業貴賤に関わらず、蔵書を貸出し、広く蔵書を通じて、交流していたことが知られています。    


(以下 次号5月号に続く)


 
 
 

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