「肩書のない人生」
渡辺京二著
渡辺京二氏は、熊本で生まれ育った、
生涯石牟礼道子に伴走してきた思想家です。「肩書のない人生」は、彼の独得の思想が分かり易い5編の講演集です。
そのさわりの部分を紹介します。
文責 井藤和俊
「肩書のない人生」
「職業は自分の一生の一面にすぎない。あとの一面はただの人間なんです。
たった一人の裸の人間なんです。肩書なんて何もないんです。・・・肩書なんてのは仮の世の中のものです。そしてその一生をどう自分のものにするかが大事なの」
「寄る辺なき時代を生きる」
「人間の社会が、娑婆が、生きていけない、息苦しいというのは昔からあることなんだけど、今は新しい要因があると思う。…自分の生涯というのは自分が作るんだから、自分で物を考える。・・・自分の言葉を持とうよ。マスコミ語でしゃべらない。自分の言葉で喋る。・・・生活語でね。」
「あなたにとって文学とは何か」
「僕はやっぱり『自分を他者として見てごらん』って思う。そうすると一つのキャラクターが出てくるでしょう。どうしてそのキャラクターなのか、突っ込んでいかないと本当の文学にならないわねえ。・・・文学というものが必要とされるとするなら、自分の思いというものが他者への眼差しになる。つまり人がこんな風にして生きている、あんな風にいきているというのがまた自分に返ってくる、そいうものを描く文学であれば、豊かな文学になるでしょうね。」
「道子の原郷」
石牟礼道子は、水俣の河口に住んでいて、キツネや妖怪が住んでいる民話の世界で育っている。
近所の爺ちゃん婆ちゃんが集まって話す民話や、気が狂った女性や乞食にも丁寧に相手をするというような中で育った。そのため。彼女は、水俣病の患者に対しても、患者たちの心を我が心として、「苦界浄土」始め水俣病患者に寄り添う作品を描いた。
「コロナと人間」
人間は生物だ。「生物というのは人口が増えすぎると、必ずそこがチエックされて減らす要因が働いてくるのよ。」過去ペストやコレラが猛威を振るって、ヨーロッパの人口を激減させたことがある。コロナはそれほどの伝染はしていない。疫病にも入らない。
「(病人を)大切にすることは大事であるが、どんなに大切にしようと思っても儚く無残に失われるということは当たり前なんだということ、そのことに耐えるということね」
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