井藤和俊
日本最古の和歌集「万葉集」の名は、誰でもご存じでしょうし、そこで詠まれている歌の幾つかは聞かれたことがあることでしょう。
ところで、万葉集は、何字(何語)で書かれていたでしょうか?
万葉集は漢字で書かれています。というのも、日本には、話しことばは日本語(和語)でしたが、文字はなく、法令その他書き物は全て中国から伝えられた漢字で書かれた漢文です。今なら、日本語は話しても、お役所はじめ全ての書類は英語で書かれ英語で話されているようなものです。万葉集以前の古事記、日本書紀ももちろん漢字漢文です。
試しに、万葉集では、どのように書かれていたか紹介しましょう
(註)出典 「万葉集」新日本古典文学大系 岩波書店 (菊池市中央図書館在庫)
原文 田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留
和訳 田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける 山部赤人
原文 憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曾
和訳 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむそ 山上憶良
原文 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
和訳 銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも 山上憶良
つまり日本語に音があう漢字を当てていたのです。しかし、音だけでなく意味も込められているので、現代人の私達にも、意味は通じます。
なお、短歌と和歌は同じように使われていますが、厳密には、和歌には、短歌以外の形式の歌も含まれます。例えば長歌は五・七・五・七の繰り返しで、最後は七・七でしめくられます。
万葉集は、天皇の歌から庶民の歌、作者不明(読み人知らず)の歌まで、職業的には卑賤の者の歌まで収録されています。東国から北九州へ防人として派遣された兵士やその家族の歌もあります。公家など上流階級にとどまらない、草莽の民の声が歌として結実していることが、万葉集が、私達の心、美意識、恋、喜び、哀しみを詠う原型・源流を為した由縁ではないかと思います。
万葉集は、テーマ自由の「雑歌」巻(章)のほか、恋を詠う「相聞歌」や、死者を悼む
「挽歌」の巻(章)があります。相聞歌はつまみ食いでも良いからお薦めです。
足日木乃 山乃四付二 妹待跡 吾立所惉 山之四附二(註)惉(ぬ)の字は心がない
あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ち濡れぬ 山のしづくに 大津皇子
吾乎待跡 君之惉計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
吾を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを 石川朗女
この歌のやりとりは、大津皇子が、草壁皇子の愛人 石川朗女(いらつめ)を奪う歌です。今でいう不倫です。
ところで、浦島太郎の物語が、万葉集巻九 高橋虫麻呂の歌「長歌」として収録されているのには驚きました。なお、万葉集では、浦島太郎は、亀の背中ではなく、舟で釣をしていて、海の神の少女に出逢った、とあります。玉手箱の話しは同じです。この話が、五・七・五・七と、リズミカルに繰り返され、末尾は、「浦島の子が 家地(いえところ)美ゆ」と七・七で結ばれています。
お薦めの本 斎藤 孝 著『1分音読「万葉集」』ダイヤモンド社
(菊池市中央図書館在庫)
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