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[2021年7月号] 本の広場 「二十四の瞳」

    若い人にお薦めの本 「二十四の瞳」 壺井 栄著(昭和27年)

                            投稿  井藤和俊

 戦争の傷跡が、人びとの心には、まだ深く痛み悲しみとして残っていた昭和27年に出版された「二十四の瞳」は、その2年後の映画化(木下恵介監督 高峰秀子主演)によって、

世間に広く知られました。

 昭和初期、大石先生は、瀬戸内海の小さな村の分教場の新任教師として赴任し、子どもや大人たちから、「おなご先生」と呼ばれました。大石先生は1年生12名を受け持ちます。子どもたちは「おなご先生」の音楽の授業が大好きです。「おなご先生」は子どもたちのささいないたずらで大けがして入院しますが、退院すると、分教場から本校に転任となります。子どもたち12人は、大石先生に会いたくて、遠い道のりを歩いて尋ね、大石先生と写真をとります。

 しかし、時代は急変していきます。小学校4年生から子どもたちは本校に通います。

本校ではリベラルな思想を許さない国と世間の風潮に、大石先生は、分教場出身の子どもたち12人の卒業とともに、教師の職を辞することになります。

 数年後、徴兵検査年齢になって、教え子たちは、嬉々として、軍隊に入ることを大石先生に告げます。大石先生は「名誉の戦死などしなさんな。生きて戻ってくるのよ」と声を潜めて言います。女生徒の幾人かは、家庭の事情により、誰にも別れを告げることなく村を去ります。

 戦後、再び教壇に復した大石先生は、教え子のその後を知って涙して、「泣きミソ先生」とあだ名を付けられます。戦死した男子、戦地で負傷失明した教え子、家族から離れ離れにされ行方不明の女性、納屋で誰にも看取られず病死した女性、教え子のその後の厳しい人生を知らされます。            

 生き残った教え子たち5人が大石先生を囲んで同窓会を催します。戦争で失明した男性は小学校当時の大石先生と写った写真の12人の顔をひとりひとり指さします。女性が「荒城の月」を歌うとみな泣きながら抱き合い歌います。

 昭和27年ならではの物語であり、映画だと思います。今の若い人たちには、理解しがたいあるいは興味が持てない物語かもしれません。しかし、庶民がどのようにして戦争に組み込まれていったか、一人ひとりの人生は、実は国と社会の流れに無縁ではなく、庶民ほど大きな犠牲を払わされること、それを見抜く知性と心の優しさの大切さを、「二十四の瞳」は教えています。

 図書館で、ビデオで映画をみて、本の原作を読むことをお勧めします。

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