√ 靖国の宮に御霊は鎮まるも をりをり帰れ母の夢路に √
日中戦争の最中、前線は悪戦苦闘の日々でしたが、戦闘自体は局部的で、戦闘の合間は、自分を取り戻し、兵士同志の交歓と内地で暮らす家族を想う日々でもありました。
その戦争の中で、郷土中心に編成された部隊ならではの様々な出会いがあり、永別もありました。その中で生まれた詩歌です。
劇のもととなるストーリイは、菊池にゆかりのある人々の実話がもとになっています。
菊池市民にはぜひ見てほしい劇です。
11月29日(金)熊本市民会館シアーズホーム 昼の部開演14時 夜の部開演18時
~物語の背景~
昭和12年(1937)日中戦争が始まり、熊本の第六師団も中国に動員され、菊池出身の立山英夫中尉は偵察に出て、戦死します。血まみれの軍服のポケットには母親の写真があり、裏に詩が書かれ、最後に「お母さん」が24回繰り返されていました。
実家での葬儀に上官の大江一二三少佐から「ヤスクニノ ミヤニミタマハ シズマルモ
ヲリヲリカヘレ ハハノユメジニ」という弔電が届きます。この歌は一人歩きを始め、
「海ゆかば」で知られる信時潔によって作曲され、国民歌謡第1号になりました。
大江一二三は現役の将校でしたが、詩人肌で短歌や句を作り、絵も巧み、音楽を好み、バイオリンを弾き、校歌の作詞作曲もしています。講談社の「少年倶楽部」に「ちゃんぽん閣下」を連載しています。本土決戦に備え、宮崎県の清武村(宮崎市)で歩兵四百五十五連隊長として陣地構築を指揮しますが、兵士の慰安と村人らとの融合のため、劇団もつくります。また作詞作曲した「清武音頭」が盆踊りで戦後長い間、踊られていました。
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